2015年11月6日

「クボタショック」から10年 続く甚大な被害と加害企業・国の重大な責任

アスベスト被害からいのちと健康を守る尼崎の会
事務局長 粕川實則

クボタの加害責任が確定

兵庫県尼崎市のJR尼崎駅東に位置する、クボタ旧神崎工場の労働者79人だけでなく、周辺の住民に中皮腫などのアスベストによる健康被害が多発していることが2005年6月29日の新聞報道で明るみになった事件、いわゆる「クボタショック」から今年で10年目を迎えます。
公害型の尼崎アスベスト訴訟の上告審は、今年2月17日、最高裁判所第三小法廷(大谷剛彦裁判長)が原告(中皮腫で死亡した2遺族)とクボタ双方の上告を棄却し、大阪高裁の判決が確定しました。高裁判決は、クボタの周辺住民への加害責任を認め、1遺族に対して同社に約3,200万円の支払いを命じましたが、国の責任は不問としました。しかも、大阪高裁が認めたクボタの「責任飛散範囲」はクボタ旧神崎工場から300mと、被害実態とはかけ離れたものですが、公害としてのアスベスト被害を認定したのは全国で初めてのことです。山内孝次郎さん(享年80歳)の遺族、保井綾子さん(同85歳)の遺族が、加害企業クボタ、有効な対策を取らなかった国の責任を明確にすることを求めて、それぞれ2007年5月、08年12月に提訴し、6年から8年近くを経て判決が確定しました。極めて不十分な結果でしたが、多くの関係団体や個人に支えられて粘り強く闘ってきた結果です。

尼崎の中皮腫リスクは全国の10倍

2015年3月4日に環境再生保全機構が発表した、1月末までの労災以外の環境曝露(公害)によるアスベスト被害者は、中皮腫8,601人、肺がん1,311人、石綿肺59人など認定されただけで10,040人となり、石綿健康被害救済法が2006年3月27日に施行されて以来、1万人を超えました。
労災・公害の区別なく、厚労省が昨年9月に発表した「中皮腫による死亡者の年次推移」(1995~2013年)では、2011年までは1,200人台だったものが2012年以降は1,400人台へと、アスベストによる健康被害は深刻の度を増しています。尼崎市における中皮腫死亡者は近年30~40人と、全国的に突出した異常な犠牲者を数えます。全国的にはおよそ10万人に一人に対して、尼崎では1万人に一人、全国比で10倍の超ハイリスクです。クボタ旧神崎工場が操業していた小田地区に限定すれば、尼崎市のリスク調査結果から見て30~50倍の中皮腫死亡リスクが推測されます。アスベストによる健康被害の特徴は、低濃度であっても、アスベストを吸い込んで20~50年経過して中皮腫や肺がんなどを発症します。「静かなる時限爆弾」と呼ばれる所以です。

【95年まで石綿使用したクボタ】

クボタは旧神崎工場で1954年から95年までの41年間にわたって23万トン(中皮腫を発症するリスクが500倍とされる青石綿8.8万トンを含む)を超える大量のアスベストを使用し、石綿セメント管や建材を製造してきました。そして、製造工程から発生したアスベスト粉じんを工場周辺に撒き散らしてきたのです。
クボタは、居住地域から離れた尼崎市南部の工業地帯に広大な敷地を持っていましたが、戦後間もなくには人口が飽和状態となっていた尼崎市の中心部・小田地区に、危険なアスベストを大量に扱う工場を建設したのです。国が簡易水道政策を開始した年の5月、クボタは役員をニューヨークのジョンズ・マンビル本社へ派遣し、同社と業務提携し、1954年4月、小田地区の神崎工場で石綿セメント管の製造を始めました。当時、石綿管メーカーは、クボタ以外は日本エタニットパイプ、秩父セメントの2社だけでした。クボタはこの3社の中でもっとも後発の企業でしたが、簡易水道政策による地方自治体への補助金行政、JIS規格(1950年)導入などで、急激に生産量を拡大させ、生産開始からわずか4年後の1957年には、業界シェア約44%でトップに躍り出ました。この年には毒性が強い青石綿の使用も始めたのです。この業界第一のシェアに至ったのは、JR尼崎駅(旧国鉄神埼駅)に隣接することによって、引込線を利用した鉄道輸送が容易だったことと密接に関わっています。
また、クボタは国が建築基準法でアスベストによる内装義務を住宅にまで拡大した翌年の1971年、神崎工場で、白石綿を使った住宅用建材の製造を開始。1981年には他の大手石綿建材メーカーが石綿使用量を劇的に減少させていた時期でしたが、クボタは1995年に至るまで、大量の石綿を使って住宅用建材の製造を続けたのです。
クボタの使用量が他の石綿メーカーと比べてもいかに突出していたかは、国が制定した石綿健康被害救済法の特別拠出金からも分かります。石綿健康被害救済法は、その財源を、労災保険適用全事業所による一般拠出金と、石綿との関係が深いクボタを含む特別事業主4社による拠出金によって賄われています。この4社とは、クボタ、ニチアス、太平洋セメント、旧日本エタニットパイプです。クボタは、石綿使用量の多さや石綿疾患患者の多発を理由に、2010年度における特別拠出金総額3億円のうちの54.6%にあたる1億8161万円を負担しています。

クボタ、裁判を回避するため「救済金」か

「クボタショック」以来、尼崎医療生活協同組合が兵庫県保険医協会や尼崎労連、建交労、尼崎民商などに呼びかけて、クボタ旧神崎工場に隣接する団地や地域の訪問相談活動、アスベスト検診、被害者の掘り起こしと救済活動に取り組み、弁護団の協力も得て、2005年12月に、長期間にわたる闘いの運動母体・「アスベスト被害からいのちと健康を守る尼崎の会」(以下、「アスベスト尼崎の会」)を関係団体で立ち上げ、国・クボタの責任を明確にし、真の被害者救済を実現する闘いをすすめてきました。弁護団と私たちが、7遺族に集まってもらって、国とクボタの責任を問う裁判を準備している最中に、クボタは加害責任を認めないまま、「石綿を取り扱ってきた企業の社会的責任から」として、2006年4月17日に「救済金」制度(2,500万円~4,600万円という賠償金に近い額)をつくり、「裁判は何年もかかる。『救済金』を受ける方が早く解決する」とクボタと制度設計に関わった被害者救援団体を使って遺族を説得したのです。公害型の尼崎アスベスト訴訟の原告となった山内孝次郎さんの遺族、山内康民さんも説得された一人です。
米国で1973年に製造物責任法が制定されると、アスベストによる健康被害の損害賠償訴訟が相次ぎ、ジョンズ・マンビル社自体も3万件に及ぶ訴訟が起こされ、同社は1982年に日本の民事再生法にあたる連邦倒産法第11章を申請して倒産しました。同社と業務提携していたクボタはこの事実を知らないはずはなく、裁判を回避するために「救済金」制度をつくったものと推測されます。
国がつくった「石綿健康被害救済法」も、国が責任を認めた賠償制度でなく、責任を曖昧にした「救済」法で、死亡時の支給額は葬祭料込みで300万円足らずの低水準に抑えられており、2015年1月31日現在の認定率も、中皮腫で83%、肺がんで46%、石綿肺で24%、全体でも72%と低い水準となっています。「クボタショック」直後に当時の小池百合子環境大臣が「隙間のない救済」を約束していましたが、「制度はつくったが完全救済はしない」というものです。
クボタの「救済金」も、旧神崎工場周辺の被害者全員に支払われているわけでなく、クボタは「建設会社の事務員だった」「空調機を販売していた」などとして「救済金」の支払いを拒みました。クボタは周辺住民被害者271人に「救済金」を支払ったと発表(2014年9月末日現在)していますが、「救済金」受給者は氷山の一角にすぎません。クボタも責任を認めないから、少しでもクボタ以外からのアスベストの影響の可能性のある被害者を切り捨てているのです。

なお続く中皮腫等の深刻な被害

クボタの元労働者の多くも犠牲になっています。昨年9月末現在で192人がアスベストによる疾患で死亡、闘病していると発表しています。神戸新聞が「クボタショック」後の05年8月20日付で「1990年からクボタ従業員のアスベスト関連死に、労災補償に3,200万円を上乗せして支給」を明らかにしました。クボタと労組との間で極秘裏に協定化されたというものです。
隣接する県営・市営住宅の住民たちも、何度も「埃で畳がザラザラになる。石綿ではないのか」「体に悪い物ではないのか」などの苦情を工場に言ったり、保健所にも「何とかならないか」と申し入れています。工場内労働者の石綿肺、中皮腫等の多発は、住民の健康を守るための情報として地元の保健行政に伝えられるべきで、保健所等に正確に伝達されていたなら、その後の尼崎市の対策は異なっていたに違いありません。尼崎市保健所は、肺がん死亡率が県下で最悪という事は把握していましたが、その原因については分からないでいました。当時、「なぜクボタや労組は、この大量の労災死を発表しなかったのか。公表され、報道されていれば、診察でアスベストとの関連を疑い、確定診断ができ、早期治療もできた可能性も」との医療関係者の声もありました。
労働基準監督署も、労災死亡の多発にクボタに対して幾度となく立ち入り調査をし、工場内のアスベスト粉じん対策を指導しています。工場内のアスベスト粉じん濃度を下げようとすると、原告側証人の浅田昌男さんが「クボタの工場の天井には大きな換気扇が7つあり、24時間、粉塵を外に排出していた。窓や扉はいつも開いていた」と証言したように、工場周辺への大量飛散に繋がり、甚大な被害が今も継続しているのです。

【国、加害企業の責任を追及、被害者救済をめざす】

2012年8月7日の神戸地裁、2014年3月6日の大阪高裁の判決は、クボタの責任を認め、1遺族に損害賠償を命じました。地裁判決では、クボタが少なくとも1975年に至るまで、旧神崎工場外へアスベストを飛散させ、周辺住民が中皮腫等のアスベスト関連疾患に罹患する危険にさらされていたとして、山内康民さんの父親が旧神崎工場のJRを挟んで南側の工場に勤務していたことによる石綿ばく露と健康被害の因果関係を認め、賠償を命じました。しかし、もう一人の原告・保井祥子さんの母親については、「クボタからの石綿粉じんが原因である可能性を否定することはできない」としながら、「住居地までの距離や他原因との関係でクボタの石綿粉じんと特定できない」として請求を退けました。奈良県立医大の車谷典男教授と大阪府立公衆衛生研究所の熊谷信二研究員が実施した「クボタ旧石綿管製造工場の周辺住民に発生した中皮腫の疫学調査」で示されたアスベスト飛散リスク範囲を、何ら科学的根拠もなく極端に狭くした判決であり、とうてい容認できるものではありません。
国については、周辺住民の中皮腫発症リスクが高いという医学的知見は確立していなかったと、その責任を不問にする不当な判決でした。
1960年のワグナー論文の発表時点、遅くともニューヨーク科学アカデミーの年誌が刊行された1965年の時点において、工場周辺住民への曝露の予見可能性は十二分に認められるのです。また、各知見は速やかに国内に報告されていたのですから、国及びクボタが、1960年代の早い時点で近隣被害の危険性を認識し、近隣住民の被害を防止する有効な対策をしなければならない義務を負っていたことは明らかでした。しかし、尼崎アスベスト訴訟(公害型)を審理した地裁、高裁、最高裁とも、明らかな医学的知見を無視し、国の責任を不問としたのです。
原告、弁護団、「アスベスト尼崎の会」は2月19日、神戸地裁司法記者クラブで記者会見し、八木和也弁護団事務局長が「旧神崎工場周辺における住民の被害は現在でも増加の一途をたどっており、その被害範囲は優に半径1.5kmに及んでいる。最高裁決定はこの歴然たる事実を無視する不当なもので、原告、弁護団、『アスベスト尼崎の会』としては到底受け入れられない」「アスベスト被害は決して過去の問題ではなく、今なお中皮腫等の被害が拡大しており、引き続き被害者の救済に全力を挙げ、国・加害企業の法的責任範囲の拡大をめざし、活動を続ける」ことを表明し、闘いを継続しています。

*この論文は、日本共産党の「前衛」(2015年6月号)に掲載されたものです。

以上