2011年12月3日

クボタアスベスト裁判(環境型)25回弁論が開かれる

「1964、5年には、アスベスト使用を中止させるべきだった」

立命館大学・森裕之教授が証言

クボタアスベスト裁判は、12月1日、25回弁論が行われ、立命館大学政策科学部の森裕之教授が原告側証人として証言しました。午前、午後を通じて行われたこの日の証人尋問を120人の支援者が傍聴しました。

証人の森教授は、原告側弁護団の主尋問に答え、少なくとも20世紀初頭から、アスベストの発がん性を含む有害性については知見が集積していた。1955年のドール論文、60年のワグナー論文に見られる画期的業績によって、アスベスト(青石綿)と中皮腫の因果関係、環境曝露によって中皮腫が発症することが確立され、64年に開催された国際会議・ニューヨーク科学アカデミーで医学的知見が国際的コンセンサスを得ていた。それは我が国でも並行して研究され、情報も瞬時に入ってきていた」と指摘。さらに「65年には『ロンドン地域におけるアスベスト曝露後の胸膜・腹膜中皮腫』(ニューハウス論文)でアスベスト工場周辺おける非職業性曝露(環境曝露)による中皮腫発生を疫学的に明らかにしたと、早くからアスベストによる健康被害は、国もクボタも知り得たと証言しました。

そのうえで、ニューヨーク科学アカデミーで危険性が国際的に明らかに確立された1964年から65年にはアスベスト使用を中止すべきだったと指摘しました。

「国が政策でアスベスト使用を推進し、適切な規制をしなかったから、クボタは経済的利益を優先し、甚大な被害をもたらした」 森教授

森裕之教授は、国が簡易水道政策、建築基準法などでアスベストの積極的使用を推進し、クボタ等のアスベスト業界が外貨割り当て(当時は、原材料を輸入する際には国が外貨を政策的に割り当て、外貨がなければ輸入できない仕組みだった)を優先的に利用し、利潤追求に走ったこと、アスベスト業界大手3社のうち、ニチアス、アスク(現・エーアンドエーマテリアル)は1970年代後半から大幅に使用量を減らしたにもかかわらず、クボタは88年をピークに大量のアスベスト使用を続けたことなど、危険性を知りながら周辺地域に甚大な被害をもたらしたと指摘しました。

「生命とコストを天秤にかけることは許せない」 森教授がクボタ代理人に反論

午後から、森教授の証言に対する国とクボタの反対尋問がはじまりました。

国の代理人は「1986年のWHOの文書で、『一般住民の環境曝露による中皮腫の発症は、検出不可能なほど低い』とされている。証人の証言と違う」と述べたことに対して、森教授は「その文書では、職場、工場周辺を含む準職場的、一般住民の3つに分けられており、工場周辺住民は『一般住民』に区分されない」と反論しました。

クボタ代理人が、アスベストが石綿管によって簡易水道普及や産業発展に寄与したことにふれながら「リスクの程度もあるが、コストの面から、管理しながらアスベストを使ことは許されるのではないか」と質問したことに対して、森教授は「多くの労働者、周辺住民が亡くなっている。生命とコストを天秤にかけることは許されない」と断言しました。そのうえで、森教授は「『アスベストを管理しながら使う』と言うが、将来にわたって管理できないのがアスベストだ。1964~5年には、使用を禁止すべきだった」と反論しました。

「世界に類を見ない環境被害。闇に葬ることは許されない思いで証言した」 証人尋問終了後の報告集会で森裕之教授

弁論終了後、アステップ神戸で報告集会を開催し、主尋問に立った萩田、八木両弁護士から「証人の森教授が国とクボタの加害責任を明確にしてくれた。反対尋問にもきっぱりと立ち向かってくれた」と報告。森裕之教授は「クボタ周辺の健康被害は、世界に類を見ない環境被害であり、闇に葬ることは許されないとの思いで証言した。今、アジアの各国にアスベスト工場が移転し、深刻な公害を輸出している。このクボタと国を相手取った裁判は、世界史的に重要」と述べ、「いのちが何よりも大切。泉南アスベスト控訴審判決にひるむことなくがんばってください」と、原告・弁護団、支援者を励ましました。

原告の山内康民さん、保井さん親子が「最高裁までの闘いになると思う。最後までのご支援を」とあいさつ。「尼崎の会」粕川實則事務局長が「直近でも中皮腫と診断され闘病中の2人が、環境再生保全機構から認定された。被害者が9万人とも10万人とも言われるアスベスト被害発症のピークにさしかかってきている予感がする。有効な検診制度確立のためにも裁判の勝利は不可欠」と強調し、次回12月21日の環境型裁判では原告の証人尋問があり、引き続く傍聴支援を訴えました。

以上