2007年2月18日

わが心、わが思い……夫をアスベスト被害で亡くした藤原ノリエさん

「アスベスト被害からいのちと健康を守る尼崎の会」の被害者・家族の会で代表をつとめる藤原ノリエさんが、労災認定に至る経過を手記にまとめてくれました。非常に困難なケースでしたが、「諦めない」藤原さんの姿勢が労働基準監督署をうごかし、労災認定を勝ち取ったのです。以下、藤原さんの手記を紹介します。

 

私が「アスベスト」という「文字」にはじめて目を留めたのは2005年6月の深刻なアスベスト被害を報道した新聞でした。

夫は、大阪市内や尼崎の鉄工所に勤務し、ガス、ボイラー、溶接等の各種技能資格を取り、一男一女と平和な家庭を築いてきました。

1988年に、伊丹重機工業(兵庫県伊丹市)に勤務先を変え、鋳鉄管や水道管などの継ぎ手部分の溶接作業をしていました。クボタの下請けという話も聞きました。本当に仕事熱心な人でした。作業着やマスクも真っ黒で、「アスベストを使っているから仕方がない」とよく言っていました。

それから7年後、夫が95年5月にレントゲン検査の写真を会社から持って帰ってきました。「母さん引っかかったよ!」と………。すぐに兵庫県立尼崎病院へ受診、「肺がん」と診断されました。いったん退院したものの、職場には復帰できず、休職しての闘病生活が続きました。

「肺がん」告知後、2年で脳に転移し、痛みに苦しみながら死亡

翌年には、夫の病状が急激に悪くなりました。排尿、排便を部屋の中でする、自分の家がわからない、肺がんが脳へ転移してきたのです。民間病院に入院しましたが、病院からは「夜間は、奥さんが付き添ってくれ」といわれるほど奇妙な行動が多くなりました。県立病院へ再入院したり、民間病院にまた入院したり、ほぼ3ヶ月ごとに転院し、抗癌剤治療などを続けましたが、本人もとても苦しみました。看護も大変でした。私は出来る限りのことはしてきたつもりです。でも、看護の甲斐もなく、主人は「肺がん」の告知を受けてわずか2年、末期がんに伴う痛みに苦しみながら97年9月、56歳の若さで死亡しました。死亡診断名は「肺がん転移脳腫瘍」でした。

アスベスト被害の報道が続いたとき、尼崎市保健所、労働基準監督署に出向いて話を聞きました。病気とアスベストの関係を裏付ける医学的な資料がいると言われ、病院にカルテやレントゲンフィルムが欲しいと依頼しましたが「ない」といわれ、途方にくれていました。

あきらめかけたとき「尼崎の会」との出会い

諦めかけていた時、私の友人が「家のポストに、小田地区会館でアスベストの相談会があるってチラシが入っていたよ。一度行ってみたら」と教えてくれました。私は、チラシを握りしめて会場に行きました。「アスベスト被害からいのちと健康を守る尼崎の会」との出会いの時でした。

「会」の皆さんからたくさんのお話を聞き、そして親切に教えていただきました。「会」には、被害者・家族の会もあり、同じ悩みをかかえる同世代の人がたくさんいました。それから何回となく足を運び、「会」の皆さん方からも激励していただきました。

夫の勤めていた会社は既に閉鎖されていました。私の気持ちも挫けそうになりましたが、「会」の相談員から「仕事でアスベストを使っていたというご主人の証言もあるし、原発性の肺がんだから、労災申請をしよう」と、「特別遺族年金請求書」に死亡診断書と戸籍謄本、住民票を添えて、2006年4月6日に伊丹労働基準監督署に請求しました。

その後、労基署の係官が来られて聞き取り調査を受け、私は、マスクがいつも細かい繊維で真っ黒に汚れていたこと、「石綿を扱っているから仕方ない」と繰り返して話していたこと、夫の当時の言葉を思い出しながら、説明しました。労基署は、県立病院に保管していた夫の肺組織を見つけてアスベストの数を検査してもらっていること、閉鎖されている会社の元経営者を探してアスベスト使用の有無を確認しようとしていることなど、調査の状況を教えてくれました。係官の一生懸命さが伝わってきました。

8月はじめに伊丹労基署を「会」の相談員と尋ね、状況を聞きました。労基署の係官から「肺組織の検査結果で1,500本の石綿小体が検出された」こと、「廃業した会社の元経営者からアスベストを使用していた証明を得られる見通しが立った」ことを知らされました。そして、「(労災として)認定すべきと判断し、本省協議にまわしたい」という返事をいただきました。

労基署係官の熱心さに感謝すると同時に、「石綿小体1,500本」に不安を感じました。厚生労働省の認定基準ではアスベストに曝露した仕事が10年未満の場合は「石綿小体5,000本以上」となっていると聞いていたからです。現に「石綿小体1,200本」の港湾労働者が認定されなかったということでした。

一緒に労基署に行ってくれた「会」の人たちが、「認定すべきと判断し、本省協議にまわす、というから可能性はある」と励ましてくれたのが救いでした。

労災申請から8ヶ月、労災・特別遺族年金が認定される

それから4ヶ月、12月12日に伊丹労基署の係官がわざわざ尋ねてきて、特別遺族年金の認定通知を届けてくれました。「認定に時間がかかって申し訳ない」とも言われました。本当にうれしかったです。

私は、仏壇の夫にすぐに報告しました。遺影に手を合わせ、「お父さん、痛い思いをしてつらかったね。やっと認められたよ」と語りかけたのです。

私の場合、「会」の皆さんのご支援や被害者同士の励ましがあって申請し、労基署の係官の親身になった調査で医学的な裏付けや勤務歴が証明され、認定を受けることができました。しかし、死亡後10年以上が経過し、カルテもレントゲンフィルムもなく、労基署に申請を受理してもらえなかったという話も聞きます。多くの被害者が「泣き寝入り」させられているのではないでしょうか。

クボタはいまだに因果関係を否定

夫の勤務していた会社は、クボタの下請けをしていたそうです。クボタは工場周辺のアスベスト被害者に対して「救済金」を支払う制度をつくりましたが、いまだにクボタからのアスベストが「健康被害の原因であると特定するだけの根拠を見出すには至っておりません」と因果関係を否定し続けています。

危険性を知りながらアスベストを使用し続けた企業、規制せずに放置し被害を拡大した国の責任は許せません。このことを明確にしない限り、真の被害者救済はあり得ないと思います。そのために、国・加害企業の責任を問う裁判に踏み切ったのです。

全ての被害者が手を取りあって、互いに励まし合いながら、加害企業と国の責任を問う運動を大きくしていきたいと考えます。引き続くご支援をお願いします。

以上